●上告審で「死刑」が破棄された事例

 上告できる理由は刑事訴訟法405条(下記参照)に定められており、「憲法解釈の誤り」「憲法違反」「判例違反」に限られている。このほか、刑訴法411条では、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する重大な事由がある場合、原判決を破棄できることになっているが、適用事例は極めて稀である。一審・控訴審で死刑判決を受けた場合、大半の被告人は上告するが、ほとんどが「適法な上告理由にあたらない」および「刑訴法411条を適用すべきものとは認められない」として棄却され、死刑判決が覆ることは99.9%ないのが現状である。死刑事件のおける上告審は、単なる延命措置であることが多い。
 以下の表に挙げたものが、現行刑訴法下において上告審で死刑判決が破棄された事例(いずれも刑訴法411条適用)である。半数以上が著名な冤罪事件であるが、冤罪死刑囚は他にも多数いるとみられ、冤罪だからといって上告審で死刑を免れたのは極めて幸運だったといえるのかもしれない。ほか、死刑事件に多い「刑が重過ぎる」との主張が認められた事例は、3件のみ(重大な事実誤認1件を含む)であり、日本の裁判は事実上の「二審制」であることが伺える。
 なお、旧刑訴法では上告理由が現在よりも幅広かったため、差し戻された事例も散見される。ただし、それらの中には差し戻し後の高裁で再度死刑判決を言い渡されたものもある。上告審で破棄自判の死刑を言い渡した事例も確認しただけで2件あった(高裁も死刑)。

被告人 判決日 結果 理由 差戻判決 確定判決
【無期懲役判決】
八木茂暢 1953/6/4 破棄自判 量刑不当
・犯行時、神経衰弱気味
・殺害に計画性がない
・前科がない
・勤務ぶりも精励
・改悛の情
・家庭の情態

 通称「競輪殺人事件」。通常、このようなものが上告理由とみなされることはない。この事件では、一審が懲役15年、控訴審が死刑と、あまりに開きが大きかったため、無期懲役としたとの説もある。また、当時の一審裁判長によると、一審では判決文中に懲役15年とした理由が事細かに記したが、控訴審の判決文には死刑とした理由がこれといって述べられていなかったことも関係しているのではないかという(参考)。
 なお、一審の懲役15年が控訴審で死刑となったものとしては、1961年確定の市川鉄夫の事例があり、一審と控訴審の量刑に開きがあったとしても、上告審で破棄されるわけではない。名張毒ぶどう酒事件の奥西勝氏のように、一審無罪、控訴審死刑という例すらあるほどである。
無期懲役(自判) 無期懲役
岩本市三郎 1953/7/10 破棄差戻 法令違反
 原審(控訴審)では以下の点において、被告人の防禦権が侵害されたと認められる。
・死刑を求める検察官の控訴趣意書の謄本が、控訴審第一回公判期日(弁論)までに送達されなかった。
・同期日のわずか7日前に国選弁護人を選任。
・同期日の前日になって原審裁判所所在地の大阪拘置所に移監。
無期懲役 無期懲役
岡村卓男 1978/3/24 破棄差戻 事実誤認
・犯行時に精神分裂病(現・統合失調症)の影響により、責任能力が著しく減退していた疑い。
無期懲役 無期懲役
山根一郎 1996/9/20 破棄自判 量刑不当
・命を狙われたのは3名だが、殺害は1名にとどまる。
・首謀者(死刑確定)に引きずられた面が強く、首謀者と責任が同等とは認定できない。

 通称「日建土木事件」。現在でも、死刑回避を主張する弁護側が、しばしば本判例を引き合いに出す。
 本件は公判中に永山判決が出ていることに注目すべきかもしれない。永山判決以後、死刑適否の判断にあたって「被害者の数」が重視されるようになり、特に被害者(死者)1名では死刑は極力避けられるようになった。特に、本件は被害者1名に対し、死刑判決を受けた者が2名である。永山判決後の死刑基準の変化期における判決との見方もできるかもしれない。
 永山判決後、被害者1名に対し2名の死刑が確定した事件に「小倉病院長殺害事件」がある(唯一の確定例)。こちらも公判中に永山判決が出ているが、最高裁は共犯者間の役割を同等と認め、2名の死刑を是認した。これに対し、本件では発案者(山根)より、実際に犯行を主導した者(西尾)の方が罪責が重いと判断され、最終的な量刑に差が出たものである。
 なお、この被告人は完全無罪を主張しており、物証がない中で、共犯者の供述のみで死刑判決を受けた。犯人が自己の刑事責任を軽くするため、他人を共犯に巻き込むというのは冤罪事件によく見られる構図である。死刑を破棄して無期懲役を言い渡したのは、万が一の冤罪を恐れた政治的決着との見方もあるようである。
無期懲役(自判) 無期懲役
【無罪判決】 ※一部有罪を含む
須藤満雄 1953/11/27 破棄差戻 事実誤認(省略) ※二俣事件 無罪 無罪
近藤勝太郎
小島敏雄
近藤糸平
1957/2/14 破棄差戻 事実誤認(省略) ※幸浦事件 無罪 無罪(近藤勝太郎は検察再上告中に事故死)
鈴木信
杉浦三郎
佐藤一
本田昇
1959/8/10 破棄差戻 事実誤認(省略) ※松川事件 無罪 無罪
阿藤周平 1957/10/15 破棄差戻 事実誤認(省略) ※八海事件第一次上告審 無罪 検察再上告で再度死刑判決
再々上告で無罪確定
1968/10/25 破棄自判 事実誤認(省略) ※八海事件第三次上告審 無罪(自判)
岡部保 1970/7/31 破棄差戻 事実誤認(省略) ※仁保事件 無罪 無罪
霜上則男 1989/6/22 破棄差戻 事実誤認 ※山中事件
 被告人犯行とを結びつける唯一の直接証拠である川北供述の信用性について幾多の疑問がある。したがつて、これらの疑問点を解明することなく、一、二審において取り調べられた証拠のみによつて同犯行につき被告人を有罪と認めることは許されないというべきであつて、原審が、その説示するような理由で右犯行に関する川北の供述に信用性があるものと認め、本件第一の犯行につき被告人を有罪とした判断は、支持し難いものといわなければならない。そうすると、原判決には、いまだ審理を尽くさず、証拠の価値判断を誤り、ひいては重大な事実誤認をした疑いが顕著であつて、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。
無罪 無罪
森健充 2010/4/27 破棄差戻 事実誤認 ※大阪母子殺害事件
 殺人、現住建造物等放火の公訴事実について、間接事実を総合して被告人が犯人であるとした第1審判決及びその事実認定を是認した原判決は、認定された間接事実中に被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれているとは認められないなど、間接事実に関する審理不尽の違法、事実誤認の疑いがあり、刑訴法411条1号、3号により破棄を免れない。

 本判決は間接事実のみで有罪・無罪を判断する際の重要な判例となっている。
無罪 無罪

【参考】刑事訴訟法
第405条 高等裁判所がした第一審又は第二審の判決に対しては、左の事由があることを理由として上告の申立をすることができる。
1.憲法の違反があること又は憲法の解釈に誤があること。
2.最高裁判所の判例と相反する判断をしたこと。
3.最高裁判所の判例がない場合に、大審院若しくは上告裁判所たる高等裁判所の判例又はこの法律施行後の控訴裁判所たる高等裁判所の判例と相反する判断をしたこと。

第411条 上告裁判所は、第405条各号に規定する事由がない場合であつても、左の事由があつて原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるときは、判決で原判決を破棄することができる。
1.判決に影響を及ぼすべき法令の違反があること。
2.刑の量定が甚しく不当であること。
3.判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があること。
4.再審の請求をすることができる場合にあたる事由があること。
5.判決があつた後に刑の廃止若しくは変更又は大赦があつたこと。

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