●死刑判決に対する検察の控訴

 求刑通りの判決が下った場合、判決内容に多少不服があっても検察は控訴しないことがほとんどである。それでも稀に一部事実誤認などを理由に検察が控訴する例がみられ、時には死刑判決でさえも検察が控訴することさえある。その理由としては、判決の確定していない共犯者の事実認定や量刑への影響を考慮したものや、重大な一部無罪が挙げられる。


事例1.1963(昭和38)年3月18日 宇都宮地裁判決 小林カウ
 1963年3月18日 宇都宮地裁判決 小林に死刑(求刑同)、大貫に無期懲役+無期懲役(求刑:死刑+死刑)、中村に無罪+懲役1年(求刑:懲役15年+懲役2年)判決
 1965年9月15日 東京高裁 一審破棄 小林に死刑、大貫に無期懲役+死刑、中村に懲役10年+懲役1年判決

 カウが犯した3件の殺人のうち、最も古い前夫殺害事件について、検察はカウと愛人の中村の共謀として起訴したが(大貫は関与せず)、一審ではカウの単独犯行と認定され、中村には無罪判決が下った。これに対し、検察はカウと中村双方について事実誤認を理由に控訴。控訴審では検察側の主張が容れられ、カウと中村の共謀を認定。カウに一審破棄の死刑、中村には懲役10年判決を言い渡した。
 共犯として起訴された事件で共謀を認めず、一部の被告人を無罪とした場合、検察は双方について控訴する例があるようである。ロス疑惑の三浦和義氏も一審では求刑通り無期懲役判決を言い渡されたが、実行犯とされた男性が無罪判決だったため、両名について事実誤認を理由に控訴している(控訴審では両名とも無罪。検察は三浦氏のみについて有罪を主張して上告したが、男性については上告せず無罪が確定した。検察は上告にあたり、実行犯を男性ではなく「不詳」とした)。
 その一方で、富山・長野連続女性誘拐殺人事件の事件では、無罪を言い渡された北野氏のみについて控訴し(控訴審でも無罪)、単独犯行と認定されて死刑判決を受けた宮崎知子については控訴していない。必ずしも双方を控訴するわけではないようである。


事例2.1980(昭和55)年9月13日 神戸地裁姫路支部判決 川中鉄夫 ※厳密には無期懲役判決に対する控訴
  1980年9月13日 神戸地裁姫路支部 懲役10年+死刑+無期懲役判決(求刑:懲役10年+死刑+死刑)
  1982年5月26日 大阪高裁 控訴棄却判決

 強盗殺傷2件(3人死亡)をはじめ、全国各地で多数の強盗事件を起こした。3つめの無期懲役について、量刑不当で検察が控訴。1つは死刑なのに、あえて控訴に踏み切った理由はなんだろう。刑罰としては執行されないが、あえて厳罰で臨む姿勢を示したのか。
 思うに、3番目のが無期ということに危うさを感じたのではないだろうか。通常、後の事件のほうが量刑が重くなる。だが、この事件では後の事件が無期懲役。つまり、被告人が控訴した場合、下手したら2番目の死刑まで無期に減軽されてしまう可能性(「3つ目の事件が無期なのだから、それ以前に起こした2つ目の事件が死刑では重すぎる」という理論が一応生じる)を恐れたのでは。これが10年+無期+死刑の判決であればあえて控訴しなかったかもしれない。
 しかし…犯罪内容を考えれば、心神耗弱でも認められない限り、減軽はなかったと思われるのだが…


事例3.1999(平成11)年1月27日 神戸地裁姫路支部判決 山口勝平
 1999年1月27日 神戸地裁姫路支部 山口に死刑、藤中と堀川に無期懲役(求刑:藤中死刑、堀川無期懲役)、朝田に懲役13年(求刑:懲役15年)判決
 2001年9月27日 大阪高裁 いずれも控訴棄却判決

 逮捕の端緒となった銃刀法違反、火薬類取締法違反事件につき、令状主義を逸脱した違法な捜査の結果として無罪判決。検察側は4被告人について法令違反を理由に控訴した。「違法な捜査」と認定されたことに対する、検察のメンツを懸けたものの可能性が高い。控訴審判決は全員につき控訴棄却。。死刑の求刑に対し無期懲役の判決が下った藤中の控訴に付随するものという可能性もなきにしもあらず(ただし、朝田も求刑未満の判決だったが、朝田については量刑不当を主張していない)。


事例4.1999(平成11)年3月24日 大阪地裁判決 鎌田安利
  1999年3月24日 大阪地裁 死刑+死刑判決
  2001年3月27日 大阪高裁 一審破棄 死刑+控訴棄却判決

 9年間にわたり女性5人を殺害した「警察庁広域重要指定112号事件」。事件の間に有罪の確定判決を挟むため、前3人殺害と後2人殺害に分けられ、それぞれに死刑を求刑、それぞれに死刑判決が下された。
 3人目の女児誘拐殺人事件で、家族に身代金要求の電話をかけたとして身代金要求罪にも問われたが、一審は「便乗犯の可能性もぬぐえない」として、この部分につき無罪とされた。検察はこれを事実誤認として控訴。控訴審では声紋鑑定の結果等から鎌田の犯行と認め、一審を破棄してあらためて死刑+死刑の判決を言い渡した。余罪ともいえる部分について敢えて控訴したのはなぜか。身代金目的誘拐殺人という大罪を、未解決で終わらせてはならないという強い姿勢の表れだろうか。
 死刑判決という結論自体は変わっていないため、一般レベルでは「控訴棄却」との違いすら判らないと思われる。実際、毎日新聞では「控訴棄却」と報じているが、これは明らかな誤報である。
 ところで、控訴審判決時、検察も控訴していたという明確な報道は、産経新聞大阪本社版の「双方の控訴があった」との記載以外に発見できなかった。無罪部分に対して検察の控訴がないと、無罪は確定する。なので検察の控訴があったのは確実であった。
 〔追記〕匿名の方から情報を頂いた。こちらの判例が参考になると思う。


事例5.2001(平成13)年7月9日 名古屋地裁判決 小林正人
  2001年7月9日 名古屋地裁 小林に死刑判決、小森と河渕に無期懲役判決(求刑:3名とも死刑)
  2005年10月14日 名古屋高裁 一審破棄 3名とも死刑判決

 少年グループによる連続リンチ殺人事件。2件目(木曽川事件)につき、検察は殺人罪で起訴したが、一審では傷害致死と認定した。死刑判決において、通常この程度の事実誤認では検察は控訴しないが、本件では事実誤認を理由にあえて3名につき控訴(無期懲役判決を言い渡された2名については量刑不当も)。傷害致死認定を確定させてしまうと、求刑通りの判決が下らなかった2名の控訴審に影響が出るためである。
 控訴審では検察の主張が容れられ、殺人罪と認定。また、一審では小林を主導的立場、ほか2名を従属的立場と認定して量刑に差をつけたが、控訴審では役割にそれほど差はないとして、3名とも一審破棄、改めて死刑判決が下った。
 余談だが、控訴に踏み切った際、名古屋地検幹部は「(死刑判決に対する控訴は)調べた限り前例がない」と言っている。直近でわずか2年前に2件もあるのだが…いったい何を調べたのだろう。


事例6.2007(平成19)年5月21日・8月7日 千葉地裁判決 伊藤玲雄・清水大志
  2007年5月21日 千葉地裁 伊藤に死刑、阿多・鷺谷に無期懲役判決 (求刑:伊藤・阿多死刑、鷺谷無期懲役)
  2007年8月7日 千葉地裁 清水に死刑、渡辺に無期懲役判決 (求刑:共に死刑)

  2009年3月19日 東京高裁 渡辺に一審破棄、死刑判決 ※事実誤認の主張は認めず。量刑不当のみ
  2009年5月12日 東京高裁 清水に控訴棄却判決
  2009年7月3日 東京高裁 鷺谷に控訴棄却判決
  2009年8月18日 東京高裁 阿多に控訴棄却判決
  2009年8月28日 東京高裁 伊藤に控訴棄却判決

 架空請求詐欺グループ内の4人リンチ殺人事件。検察は被害者1名につき傷害致死罪、3名につき殺人罪で起訴したが、一審判決は傷害致死2名、殺人2名と認定した。控訴の理由は事例5と非常によく似ている。
 一審は「清水・渡辺」「伊藤・阿多・鷺谷」のグループで公判が開かれ、まず伊藤グループに判決が下った。これが確定してしまうと、この時点で判決が下っていなかった清水グループの量刑に影響が出るので、そのことを懸念して求刑通りの判決が下った伊藤と鷺谷についても控訴したものである。また、(事例5と同様に)死刑求刑に対し無期懲役の判決が下った阿多の控訴審への影響も意識したのだろう。
 本件は控訴審でも一審同様に傷害致死と認定され、事実誤認の主張については退けられているが、渡辺に対してのみ量刑不当の主張が容れられ、無期懲役破棄、死刑の判決が下った。一審よりも渡辺のグループ内での影響力を重視したためである。


<控訴しなかった事例>
・1947(昭和22)年6月18日 東京地裁判決 小平義雄
 10名に対する殺人罪等で起訴されたが、3件3名につき無罪となった。

・1977(昭和52)年3月31日 東京地裁判決 関口政安
 殺し屋グループ連続殺人事件。トラブルになった知人を暴力団員らに依頼して殺害させたとして、3件4名に対する殺人罪で起訴された。3件目では知人男性の殺害を命じたが、殺し屋らが男性の妻をも殺害した。判決では「妻殺害の共謀は認められない」として、関口には無罪判決。

・1988(昭和63)年2月9日 富山地裁判決 宮崎知子
 上記のとおり。

・1993(平成5)年9月24日 前橋地裁高崎支部判決 松本美佐雄
 3名に対する殺人罪で起訴されたが、1名の被害者について傷害致死認定。

・2002(平成14)年12月11日 和歌山地裁判決 林眞須美
 元従業員に対する殺人未遂1件につき無罪判決。毒物カレー事件の動機については、「近隣の主婦の冷たい態度に対する激昂」との検察の主張を退け、「不明」とされた。これに対し、検察は一部不満が残るとしながらも、判決は求刑通り死刑であり、訴訟の円滑な進行等を考慮して控訴しなかった。

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