●死者0人で死刑
「死刑」というと殺人事件のイメージが強い。
実際、現在死刑が適用されるのは殺人罪や強盗殺人罪で、殺意を持って人を死なせた事件に限られている。
しかし、法律上は死者がいなくても死刑を適用することは可能である。
現住建造物等放火、爆発物罰則取締法違反(爆発物使用)、殺人未遂、強盗殺人未遂などがそうである。
戦後に死刑が確定した事例は、いずれも死者が出た事例に限られていると思われる。
しかし、下級審で死刑判決が出たり、検察官が死刑を求刑した事例は僅かだが存在するので紹介したい。
(以前、Wikipediaに「下級審では強姦致傷罪で死刑判決が出た例がある」との注記があったのだが、同罪の法定刑に死刑はなく、どういった理由でこのような記述がなされたかは不明。現在は削除されている。)
事例1.警察官暴行事件 一審死刑判決
昭和22年12月199日、栃木県で煙草の闇売りをしていた大森卯之助・大森○吉(17歳)・小室良一・小室建次の4人が、取り締まりの警察官に発見されたため激しい暴行を加え、瀕死の重傷を負われたという事件。
殺人未遂、公務執行妨害等で起訴された。
検察官は建次を除く3人に死刑を求刑、建次には情状を酌量して無期懲役を求刑した。
一審判決では卯之助と良一に死刑、建次に無期懲役、○吉に懲役5年以上10年以下の不定期刑が言い渡された。
さて、論告と判決の内容があまりにも峻烈すぎるので紹介したい。
論告「暴力的行為は文化国家建設の最大の敵であるから、各被告は共同生活を営む価値なきものと認めて当社会から姿を消して欲しい。被告人等の生存を否定する。」
判決「秋元巡査に不審尋問され、葉煙草を発見されるや、4人は暗黙のうちに、それぞれスパナ、空気入れ等の凶器を持って徹底的に殴打し、さらに黒崎巡査も同様殴打したことは単なる殺人未遂ではなく、既遂である。敗戦後極度に治安が乱れ、これが防止に努める唯一のものは警察だけである。被告等は自己意欲のためには他を顧みないという精神であり、被告らの行為は正に警察を否定したものである。さらに国家も認めないという極悪な犯罪であり、この犯罪は憎んでも余りあるものがある。」
下野新聞から引用したが、同紙では「殺人既遂」と言い切っている。
殺人既遂と認定したわけではなく、「精神的には殺人既遂と同等」という意味のようである。
治安に対する挑戦には、厳罰をもって臨まれたようであるが、控訴審では卯之助と良一は懲役15年、建次は懲役5年、○吉は懲役3年以上6年以下に大幅減軽された。卯之助と良一は上告したが、間もなく取下げて確定している。
事例2.武生事件(福井地裁武生支部放火事件)
昭和24年9月20日、福井地裁武生支部が放火され、同支部や地検、家裁の同支部が全焼した事件である。
犯人は朝鮮人の暴力団関係者で、司法への恨みや裁判記録の隠滅がその動機であったとされる。
死者こそ出なかったが、検察は事件の主犯として尹聖熈氏に死刑、林好視に無期懲役など厳しい論告を行った。
しかし、判決では林の単独犯行と認定され、林に求刑通り無期懲役、尹氏には無罪判決(他の余罪は有罪)が下った。
検察側の控訴も棄却され、この判決は確定している。
事例1と同様、司法や治安を守る警察官に対して武力を持って攻撃する者には、厳罰をもって臨む姿勢が窺える。
事例3.老人強殺未遂事件
強盗殺人未遂事件で死刑を求刑した例がある。
昭和23年11月7日、親族の男性に対する強盗殺人未遂事件を起こした松岡勝美に対し、広島地検は死刑を求刑。翌年10月3日、無期懲役判決が言い渡された。
検察は控訴審でも死刑を求刑したが、同じく無期懲役の判決が下って確定した。
この事件で特筆すべきは、事件から20日目、被害者が犯人から受けた傷口より感染症を発症し、死亡していることである。
検察が当初より強盗殺人未遂罪で起訴したのか、強盗殺人罪で起訴したが(あるいは訴因変更したが)、死亡との因果関係が認められずに未遂と認定された結果なのかは判然としない。
ちなみに松岡は控訴中の広島拘置所で、死刑判決を受けて控訴中の少年被告人の「身代わり無罪放免計画」の証人を買って出た人物である。
本件のほかにも、戦時中の昭和20年6月14日に強盗殺人未遂事件を起こした福井正美に対し、同年11月9日、福岡地検は戦時強盗殺人未遂罪で死刑を求刑している。判決は未確認。
事例4.強盗殺人未遂罪で死刑選択
強盗目的で内縁の夫婦に暴行。妻は死亡したが、夫は未遂にとどまった。
強盗殺人、同未遂罪で起訴された安部武男だが、法令の適用では強盗殺人罪・同未遂罪いずれについても死刑が選択されている(妻に対する強盗殺人罪で処断)。
通常、未遂であれば無期懲役刑を選択することが多いと思われ、未遂について死刑を選択している例は珍しいのではないか。
ただ、本件は強盗殺人罪で無期懲役仮釈放中の犯行であることを重視されての結果かもしれない。
判決文中の「法令の適用」の項を読まない限りはわからない内容なので、他にも同様の事例はそこそこあるかもしれない。
殺意なしの死刑適用事例
・「強盗致死罪」の用法
古い事件だと、「強盗致死罪」や「強盗強姦致死罪」で死刑が確定した例が散見される。
しかし、殺意の有無は罪名からは判断できない。
というのも、殺意があると認定されているのに(いわゆる強盗殺人罪)、「強盗致死罪」という罪名を適用したとみられる事例が多々あるからである。
それは、「強盗致死未遂」という妙な罪名があることからも、それが伺える。
「××致死」を、「殺意はないのに人を死なせてしまった」と定義するなら、「強盗致死未遂」とは明らかな論理矛盾である。
「人を死なせる気がないのに、人が死なずにとどまった」ということになってしまう。
以下、法の素人である私個人の見解である。
そもそも、「強盗致死罪」には「(広義の)強盗致死罪」と「(狭義の)強盗致死罪」がある。
刑法240条後段に、「(広義の)強盗致死罪」は次のように規定されてている。
「強盗が人を(中略)死亡させたときは死刑又は無期懲役に処する。」
このうち、殺意があるものを「強盗殺人罪」と呼び、殺意がないものを「(狭義の)強盗致死罪」と呼び、便宜的に使い分けているのであろう。
強盗致死罪で死刑が確定した事例の多くは、広義の強盗致死罪を指していると思われ、使用された罪名が異なるだけで実質的にはいわゆる「強盗殺人罪」なのだと考えられる。
いかがであろうか。
・五十嵐正義の事例
戦後、殺人や致死の罪に問われずに死刑が確定した唯一の事例と言われているのが、「引揚寮放火事件」の五十嵐正義である。
保険金目的で寮に放火した結果、逃げ遅れた住人8名が死亡。
被害者への殺意はなかったとして殺人罪には問われなかったが、現住建造物等放火罪で死刑が確定した。
殺意が認められなかった放火で死刑が確定したのはこの事例だけだが、神戸連続51件放火(9名死亡)など、死刑を求刑した事例はいくつかあるようである。
・後藤良次の事例
近年は死刑は「殺意を持って」被害者を死なせた事例に限られているが、ちょっとした例外もある。
後藤良次は1名に対する殺人、1名に対する強盗致死、5名に対する強盗殺人未遂の罪に問われた。
発生当時大々的に報道された「宇都宮監禁事件」。
暴力団関係のトラブルのあった相手の家に押し掛け、そこにいた4人を監禁。
高濃度の覚せい剤を注射するなどして、たまたま居合わせただけの女性1名を死亡させた。
殺意はなかったので強盗致死罪に問われたのだが、死刑を選択、処断されたのはこの罪である。
ただ、他の殺人罪にも問われているので、純粋に「殺意がなかった事件で死刑が適用された事例」とはいえない。