死刑事件報道にみる過去事例紹介の曖昧性 -愛媛新聞を例に-

地方紙では死刑求刑や死刑判決の際、「県内での死刑判決は○○年○月以来で、戦後×件目」などと、過去の求刑や判決を報じることがある。
私が調査を始めたばかりで公的資料に触れていなかった頃は、よくこの記載を参考に過去の死刑事例を探したものである。
しかし、実のところその数値や内容は誤りであることも多い。
特に誤りが多く、数値に変動の多かった愛媛県の例を取り上げてみた。
下表で太字の部分が愛媛新聞よりの引用だが、その誤りの多さにはただただ驚くばかりである。

※被告人は死刑を求刑された者のみを挙げた。愛媛県内の知りうる限りの死刑求刑事例を全て集めている。

被告人 裁判所 求刑 判決
川原敏明 松山 45.12.26 死刑 新居浜市の農家で老夫婦を強盗殺人。広島拘置所で執行。
金宗沫(金田宗一) 松山 46.1.28 死刑
47.1.25 死刑
49.4.30 上告棄却
松山市の農家で老人を強盗殺人。控訴審は広島高裁で開かれ、福岡拘置所で執行された。
一審は1946年1月19日の愛媛新聞に「ちかく公判に附される」との記事があるのみで、判決報道は未確認。
山口初治 宇和島 47.6.30 47.7.7 死刑
48.3.12 死刑
48.7.1 上告棄却
東宇和郡石城村の農業会宿直員強殺事件。
大西種男 松山 47.9.5 47.9.12 死刑
48.3.4 無期懲役
上告せず
温泉郡北吉井村の老夫婦強殺事件。
控訴審で無期懲役。
共犯の岡村幸一は求刑通り無期懲役(上告棄却で確定)。
なお、後日談として被害者遺族の間で遺産相続の争いがあったことが報じられている。
濱田晴夫 西条 49.2.16 49.2.28 無期懲役 周桑郡周布村の農業高校における行商少年強殺事件。
伊藤俊雄
松田政司
西条 50.2.15 50.4.5 無期懲役
52.12.23 控訴棄却
新居郡大生院村の両親強殺事件(伊藤の両親)。
松本厚美 松山 51.2.21 51.3.7 無期懲役 松山市三津の老女強殺事件。
竿尾荒太郎
竿尾作次郎
松山 51.9.21 51.10.5 無期懲役・懲役7年 温泉郡神和村の実兄夫婦殺害事件。
「同法廷における死刑の求刑は本年2月の三津の老婆殺し事件以来のことである」
藤岡貢 松山 51.11.5 51.12.24 無期懲役
52.11.28 控訴棄却
喜多郡櫛生村の保険金目的妻殺害事件。
「無期懲役の判決は今年に入って2人目」とあるが、明らかに誤報。
上記松本・竿尾の他にも無期求刑事件の無期判決がある。
城戸ヨシコ
遠藤章
松山 52.5.16 52.5.29 死刑
53.9.29 無期懲役
上告せず
松山市道後温泉の飲食店「瓢亭」母子強殺事件(被害者はヨシコの叔母)。
この年の県内十大ニュースのトップに選ばれた。
発生が1月であることを考えれば、いかに県民に衝撃を与えた事件だったかがわかるだろう。
(西村楠義の脱獄も4位にランクインしている。)
弱冠21歳のヨシコの波瀾万丈な生涯と、遥かに年上の男性を事件に巻き込んでいった様は、
「事実は小説よりも奇なり」を地で行く、まさに小説や映画を超越したノンフィクション。
だがこれほどの事件が『愛媛県警察史』で全く触れられていないのは、
当初無関係の男性を誤認逮捕し、国家賠償を請求される事態に発展したことが影響したのかもしれない。

以下、愛媛新聞の記事を引用するが、誤報が多く、指摘する気力もない。
しかし、この記述のおかげで多くのデータが格段に充実したことは確か。
「女の死刑は全国で2人目
 終戦後県下で死刑の判決があった事件は22年7月東宇和郡石城村郷内で
起った殺人強盗事件(山口初治)につづいてヨシコと遠藤が2番目で、ともに
村上検事が取扱った(山口は宇和島支部勤務時代)のも妙な因縁。極刑を言
渡した石丸裁判長は10年前山口で言渡したのに次で2度目だという。死刑の
求刑があったのは24年周桑郡の店員殺し(浜田晴夫)25年新居郡大生院の
老校長殺害事件(伊藤俊雄、松田政司)25年三津の老婆殺し(松本厚美)喜
多郡櫛生村の妻殺害事件(藤岡貢)温泉郡神和村の兄弟殺し(笹尾荒太郎
ほか1名)などがあり、同じ日西条支部での波戸崎武雄も死刑の求刑だった
が無期の判決になっている。
 なお女の死刑は全国的にも珍らしく現在は兵庫県で強盗殺人放火した山本
広子1人だったのでヨシコで2人になったわけ」

(明らかな誤字も原文のママ引用した。)
「石丸裁判長は10年前山口で言い渡した云々…」とは、山口初治被告のことではなく、
山口地裁で言い渡したということだろう。ややこしいからちゃんと書いてくれ。
ちなみに山口初治被告に死刑を言い渡したのは蓮沼裁判長。
波戸崎武雄 西条 52.5.21 52.5.29 無期懲役 新居浜市の養母殺人事件。
検察主張の尊属殺人罪を適用せず、殺人罪で処断。
松本好一 松山 53.10.26 53.11.16 無期懲役 松山市湊町の旅館女将姉妹強殺事件。
渡部忠夫 松山 54.4.5 54.4.19 無期懲役 松山市高浜町の老女強殺事件。
中村潔 宇和島 54.7.9 54.7.30 死刑
55.2.23 無期懲役
55.3.30 上告取下
北宇和郡来村の闇米ブローカー強殺事件。
「終戦後同支部で扱った事件のうち死刑の求刑は2度目」(求刑記事)
「同支部での死刑の判決はこれで3回目である」
(一審判決記事)
死刑の求刑より判決のほうが多いというのは単純に考えておかしい。
無期の求刑に対する死刑判決でもあったのならともかく。
後者は戦前の判決も含むと解釈すれば、一応矛盾は解消されるのだが。
楮元春一 宇和島 54.10.12 54.11.2 死刑
55.7.30 無期懲役
上告せず
東宇和郡黒瀬川村の老兄妹強殺放火事件。
「終戦後死刑の判決はこれが2度目だった」
たった3か月前の死刑判決時の記事と明らかに矛盾している。
栗原正平 西条 55.7.9 55.7.23 無期懲役 瓶ヶ森(新居郡大保木村)の県営ヒュッテで起きた強盗殺傷事件。ほか窃盗。
柔道五段。元陸軍大尉。長崎県加津佐町出身。
大川富成 松山 59.6.26 59.7.24 無期懲役 興居島(松山市)の質屋強殺事件。
共犯の中川豊重には懲役15年判決(求刑無期懲役)。
西村楠義 西条 61.1.11 61.2.10 懲役15年
62.1.31 無期懲役
62.10.26 上告棄却
別子銅山における妻子3人殺害、および愛人宅ダイナマイト爆破一家殺傷事件。
起訴後に脱獄。8年もの長期逃亡の末、逮捕された。
一審ではダイナマイト事件につき無罪判決、控訴審で有罪認定。
西村望氏の小説『薄化粧』のモデルであり、五社英雄監督・緒形拳主演で映画化された。
本多圭三 宇和島 61.3.10 死刑
64.3.30 控訴棄却
64.12.8 上告棄却
南宇和郡城辺町の老夫婦強殺事件。
「同地裁支部では戦後4人目の死刑のいい渡しである」
山口・中村・楮元・本多の4人とすれば辻褄が合う。
「冒頭、遠藤裁判長が判決理由を一語一語ていねいに読み上げると30人ばかりの
傍聴席はにわかに動揺、死刑をいい渡す際裁判官が判決文の主文、判決理由の
順序を逆にして、判決理由から読みあげるので、傍聴席には『死刑だ』という私語
が取りかわされていた」

地方の地裁支部でも、主文後回し=死刑判決の慣例が定着していたことを物語る一文。
支部のわりには死刑判決が多かった宇和島ならではということか。
しかし、7年後の判決ではこの常識が覆された。
葛目正利 松山 62.2.16 無期懲役
63.11.29 無期懲役(自判)
64.7.14 上告棄却
松山市の住職夫人強盗殺人事件。
一審は犯行時被告人に精神異常はないとされたが、
突発的犯行であることや、知能の低さを考慮して無期懲役判決。
これに対し、心神耗弱を主張する弁護側と、死刑を求める検察側が控訴。
控訴審では弁護側の主張を認め、被告人は犯行時心神耗弱状態だったと認定。
他の控訴趣意には判断を示さなかったが、犯行の残虐さから選択刑として死刑を選択した上で、
法律上の減軽をなして改めて無期懲役を言い渡した。
上告審では、刑訴法402条(被告人の上訴に対する不利益変更の禁止)の解釈をめぐって争われた。
弁護側は、検察官の控訴趣意に判断を示さず、選択刑を無期懲役から死刑に変更したことは判例違反と主張。
これに対し最高裁は、刑訴法402条は言渡刑について判断すべきものであること、
また、検察官の上訴があった場合には同条の適用を受けないことことなどから、弁護側の主張を退けた。
余談だが、高松高裁は69.6.10にも本件と同様の判決(一審は徳島地裁)を下している。
上田数市 松山 63.4.1 無期懲役
年月日不詳 控訴棄却
68.12.19 上告棄却
久万ノ台新池における自動車転落事故偽装保険金殺人事件。
物証に乏しい事件で、長期審理に。
共犯の田中喜久男には懲役12年(求刑13年)判決。
辻次男 宇和島 68.11.7 68.11.30 無期懲役
控訴せず
宇和海の孤島・嘉島における女子中学生誘拐殺人事件。
深夜、漁船で本土より上陸し、就寝中の被害者を拉致。
船上で被害者を暴行した上、縛り上げて海中に放り出して殺害した。
主文後回しの無期懲役宣告。双方とも控訴せず確定。
立川修二郎 松山 75.12.24 76.2.18 死刑+死刑
79.12.18 控訴棄却+無期懲役
81.6.26 上告棄却
伊予郡松前町の母親保険金殺人ならびに妻口封じ殺人。
兄・傳一郎、姉・里子には求刑通りそれぞれ懲役15年判決。

「松山地裁での死刑の求刑は昭和36年以降の資料しか残っていないため明確ではない
が、36年度以降は一度もなく戦後でも初めてといわれる」
(求刑記事)
最も呆れた記事。戦後初めてとは誰が言ったのだろうか。
支部を除くと考えても、上田に対する死刑求刑がある。

「昭和28年、宇和島市で起こったヤミ米ブローカー強盗殺人被告に死刑判決が言い渡され
て以来、松山地裁では23年ぶり、戦後4人目といわれる死刑判決の可能性もあり、一般の
関心も強い」
(一審判決前連載記事)
ヤミ米ブローカー強殺とは中村潔に対する宇和島支部判決である。
支部を含むにも関わらず、やはり誤りだらけの内容。

「同地裁で死刑判決が出たのはさる36年に城辺町の網元老夫婦強殺事件で死刑が言い
渡されて以来15年ぶり」
(一審判決記事)
これは間違いないとみられる。

「死刑という極刑判決が最高裁まで持ち込まれ、なおかつ上告棄却されて確定したのは例
は、戦後の県内犯罪史上例がない」
(上告審判決記事)
一審判決時に本多の例を挙げておきながらこれだもんな…。もはや呆れて物も言えない。

余談だが、兄・傳一郎は西山省三に対する第一次上告審で検察が提出した上告趣意書にその名が登場する。
西山が被害者から強奪した預金通帳から現金を引き出すよう彼から依頼されたが、怪しいので断ったという。
他にも宮崎県の強盗殺人犯(無期懲役)の名が登場しており、西山が前刑で服役中に知り合った元同囚を頼っていたことが伺える。
滝本末光 松山 77.12.24 78.2.3 無期懲役
79.2.14 控訴棄却
上告せず
大洲市の女子小学生暴行殺人事件。
「同地裁での死刑求刑は50年12月の『松前町連続殺人事件』の主犯・立川修二郎以来」
別宮共イ親 松山 81.1.22 82.3.4 無期懲役
83.4.18 控訴棄却
上告せず
松山市の内妻一家3人殺人事件。被害者は宇摩郡新宮村の人。
3名殺害という重大事案にも関わらず、扱いが非常に小さい。
身内同士での犯行として、それほど重視されなかったか。
求刑から判決までに1年以上を要しているが、その間に何があったかは未確認。
藤本廣光 松山 90.3.15 90.11.8 死刑
93.7.22 無期懲役
上告せず
松山市のタクシー会社社長宅ダイナマイト爆破事件。
下宿中の親類の女子大生が死亡、家族4人が重軽傷。
「松山地裁で死刑が求刑されたのは56年1月以来」(求刑記事)
「松山地裁管内で死刑判決があったのは、49年に発覚した伊予郡松前町の「松前町連続
殺人事件」(51年2月)以来14年ぶり」
(一審判決記事)

余談だが、当初犯人と疑われ、別件逮捕されたタクシー会社社長の男性は、2022年に詐欺事件を起こして有罪判決を受けている。
宇都宮健介 松山 06.3.2 06.5.16 無期懲役
07.2.13 控訴棄却
上告せず
西予市宇和町の妻子殺人事件。
一審判決では主文を後回しにして死刑判決を予感させた。
「同地裁で死刑が求刑されたのは1988年10月に松山市で起きたダイナマイト殺人事件以
来」
(求刑記事)
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