非被殺率No.1 -福井地裁管内の死刑求刑事例-

福井県は人口当たりの殺人事件の件数が全国最少で、「最も殺されにくい県」と言われている。
複数の成人が殺害された事件も戦後3件しか確認されていない。
1948年以降、死刑確定者は1人しか出ておらず、死刑判決自体2件3人に言い渡されたのみである(いずれも被害者は1人)。
しかし、死刑求刑事案はそこそこ見られ、新聞報道における「過去の求刑の件数」に若干変動がみられる。
なお、終戦直後の福井新聞は入手できなかったため、朝日新聞福井版の記事を引用した(大倉銀次)。

※被告人は死刑を求刑された者のみを挙げた。福井県内の知りうる限りの死刑求刑事例を全て集めている。
※裁判はいずれも福井地裁本庁。
※氏名の赤字は死刑確定者、青字は無罪確定者。

被告人 求刑 判決  
大倉銀次 48.3.3 48.3.12 無期懲役
48.8.9 無期懲役
48.12.24 上告棄却
遠敷郡遠敷村(現・小浜市)遠敷で古着商の老女(74)を殺害。金品を強奪した。
金正一 50.2.7 50.2.13 死刑
50.8.7 控訴棄却
51.2.16 上告棄却
朝鮮人の金正一、許東九、趙甲鎔、李正気の4人は、遠敷郡遠敷村遠敷の農家に押し入り、
老女(60)をピストルで射殺し、菓子箱を強奪した。
李は一審公判中の50年12月6日、病死。
残る3人のうち、いずれも求刑通り金に死刑、許と趙に無期懲役の判決が下った。
金は1948年以降、福井地裁で死刑が確定した唯一の人物である。
本件は大倉の事件と同じく、遠敷村遠敷が舞台となっている。
尹聖熈 50.9.13 51.6.27 無罪
54.2.24 控訴棄却
「武生事件」(裁判所放火事件)
朝鮮人ヤクザや地元の素行不良者らが、自らが犯した軽微な事件の証拠を隠滅しようと、裁判所に放火したとされた事件。
未明、福井地裁武生支部から出火し、地裁と地検武生支部、判事宅が全焼する惨事となったが、幸い死傷者はいなかった。
検察は、本件は尹氏を首魁とする暴徒による共同謀議事件であり、
放火の実行役、見張り役、消防車の出動阻止工作役など緻密な役割分担のもとに敢行された「集団焼打事件」と断じ、
尹氏に死刑を求刑したほか、実行役らにも無期懲役などの厳しい求刑を行った。
しかし、判決では被告らのアリバイや、取り調べにおいて暴行や自白の強制があったことを認定し、検察の主張を一蹴。
放火について11被告に無罪判決を言い渡す一方、
窃盗事件で地裁武生支部に係属中だった林好視被告が、証拠隠滅のために放火した単独犯行と断定。
林被告のみ求刑通り無期懲役の判決が下った。
検察側と林被告を含む一部被告が控訴したが、全て棄却され、尹氏らの無罪と林被告の無期懲役が確定した。
なお、尹氏を含む多くの被告は余罪で有罪判決を受けたが、未決拘留日数が算入されるなどして一審判決後に釈放された。
終戦後間もないこの時代に、取り調べにおける暴行等を認めたのは極めて稀な判決ではないかと思う。

余談ではあるが、Wikipediaの「武生事件」の項は、ほぼ検察が描いたストーリーに沿った内容になっており、
司法の判断とは異なる一方的な見方でしかないので要注意。
確定判決=真実とは断定できないものの、大量冤罪事件であることに一切触れないこの記事は即刻修正されるべきである。(本稿を執筆した2013年当時。2022年現在は修正されている。)
崎下純 53.1.29 53.2.4 無期懲役 福井市春日町で、夫が出張中で妻が1人で留守番していた家に深夜忍び込み、
寝ていた妻(33)が目を覚ましたため、出刃包丁で刺殺し、現金や時計、衣類等を奪った。
犯行時18歳2か月の少年であったことと、心神耗弱が認められ無期懲役判決。
籏銀之助 53.1.31 53.2.25 無罪 公訴事実によると、岐阜県郡上郡弥富村の籏銀之助は母親が結婚の邪魔になると思い、
善光寺詣でに誘った帰りの列車デッキにおいて、母親(65)の頭部を殴打したうえ、
北陸線葉原トンネル内に突き落として殺害した。
凶器と傷口が一致しないという鑑定や、動機が薄弱であることなどから無罪判決。
死刑求刑事件では、福井地検2度目の黒星。
検察が控訴したが、無罪確定か?
現場の葉原トンネルは北陸トンネル開通と同時に廃線となり、一般道に転用されて現存している。

金正一以降の事件を担当したのは滝川裁判長で、福井地裁在任中、死刑求刑事件に2度も無罪判決を下している。
金に対しては死刑判決、崎下に対しては死刑相当としながらも心神耗弱でやむなく無期懲役の判決を下した。
本判決直後に滝川氏は転任し、後任の黒羽氏が着任したものと思われる。
勝木敏一 56.2.24 56.3.7 無期懲役 福井市松本下町の父親殺害事件。
日頃から素行が悪く、謡曲師だった父親の謡曲道具を勝手に質入れしたことがバレ、
質受けするための金策に窮していたところ、父親と口論になり、薪割りで殴打した後、タオルで絞殺した。
若年であることや、母親の病死をきっかけに家庭不和に陥ったことが考慮され、無期懲役判決。

「3年ぶりの死刑求刑
 なお死刑求刑は28年1月31日求刑のあった北陸線葉原トンネル尊属殺人事件の容疑者
岐阜県郡上郡彌富村籏銀之助さん(40)=判決は無罪=以来県下で3年ぶりである」
梅田肇 56.10.22 56.11.5 無期懲役 深夜、鯖江市の片上郵便局に盗みの目的で侵入。
当直の電話交換手の少女(19)に見つかり縛り上げた上、金品を強奪。
さらに、無抵抗の上、真面目に生きるよう諭したこの少女を殺害した。
判決では梅田の生い立ちや悔悟の深さ、さらに遺族が寛大な刑を望んだことから無期懲役。
その遺族の姿には死刑を求刑した検察官も感心するほどで、無期でも不服はないと述べた(控訴の有無は不明)。
梅田は判決後、妻が法廷に来なかったことや、未だ1度もあったことのない娘のことが心残りだと話した。
被害者は公務中に本件被害にあっており、国は遺族に補償金を支払った。
後に国は、服役中の梅田に対し、この補償金を支払うよう訴訟を起こしている。
梅田は「妻子も細々と暮らしており、返したくても返せる金がない。出所したら少しずつでも返していきたい」と話した。
仮釈放後、梅田は妻子と念願の対面を果たす。
ところが、後に梅田自身の女性問題から妻と不仲になり、思わず妻を殺害してしまい、再び殺人容疑で逮捕された。
2度目の殺人にも関わらず、1975年12月9日、梅田には懲役13年(求刑15年)が言い渡された。

「戦後、同地裁で死刑を求刑されたのは24年小浜市での老婆殺人、強盗(被告金正一)をはじめ、
近くはさる3月福井市での尊属殺人事件(同勝木敏一)などについで6件目」

死刑求刑を「戦後6件目」としているが、金以降(現行刑訴法下)とすれば辻褄が合う。
丹後善一
山崎三郎
57.9.5 57.10.7 無期懲役
58.5.8 控訴棄却
深夜、勝山市芳野の製材会社に侵入し、警備員(68)を監禁の上、激しい暴行を加えて殺害し、現金を奪った。
公判では互いに罪をなすり合うなどしたが、無期懲役判決。
一審判決時には死刑判決言い渡し時の慣例のように主文を後回しにした。
理由は不明だが、犯した罪は死刑にも値するという厳しい戒めだったのかもしれない。
丹後は地元出身だが、山崎は埼玉県出身の流れ者。

勝木以降、本件までが黒羽裁判長の担当事件。
いずれも被告人の上場を考慮して死刑を回避している点が特徴である。
一概に比較することはできないが、前任の滝川裁判長、後任の高沢裁判長とは異なった趣がある。
本件では主文を後回しにしたが、梅田には主文を冒頭で宣告している(勝木は不明)。
宮川養蔵
宮地正之
64.9.1 64.12.26 死刑
68.3.21 無期懲役
68.10.31 上告棄却
小浜市の喫茶店経営・宮川養蔵と、大飯町の石材業・石倉譲は、賭博による借金がかさみ、返済に窮していた。
高知県から出稼ぎに来ていた土木作業員・宮地正之に相談したところ、3人で金融業者を殺害し、借金の返済を免れ、
かつ金品を強奪する計画がまとまった。
宮川が経営する喫茶店に上中町の金融業者を誘い出した上、宮川運転の車に乗せ、同乗した宮地と石倉が絞殺した。
検察は、殺害には直接加わってはいないが終始主導的立場にあった宮川と、
一面識もない被害者を殺害した殺し屋的立場の宮地には死刑を求刑。
謀議に積極的でなかった石倉には無期懲役を求刑した。
一審、福井地裁高沢裁判長は求刑通りの判決。
福井地裁としては戦後2度目、そして現在のところ最後の死刑判決である。
被害者1名に対し、2人の被告に死刑が言い渡されることは、当時としてはそう珍しいことではなかった。

当時の警察関係者によれば、宮川と石倉はもとは比較的善良な市民であり、
流れ者の宮地との交際が悪の道へと足を踏み入れる結果になったとみていたという。
地元民と流れ者が結託して犯行に及んだという点では、上記勝山事件と似た側面がある。

控訴審では全員に無期懲役判決。
石倉はそのまま服罪。宮川と宮地は最高裁まで争ったが、無期懲役が確定した。

「福井地検が死刑を求刑したのは32年5月勝山市で発生した夜警員殺し以来7年ぶり。戦後5度目のことである」
戦後5度目とはどう考えても辻褄が合わない記述。
なお、読売新聞福井版では「戦後2件目の死刑いい渡し」とし、奇しくも前回も今回も小浜の事件だったと報じている。
島田丑之助 91.12.18 92.3.17 無期懲役
96.9.24 控訴棄却
99.3.24 上告棄却
2件の殺人に加え、爆弾製造、企業脅迫などの犯罪に多数関わった。国際的・広域的な犯罪者。
手口が似ていることから、グリコ・森永事件への関与が浮上し、一時期は島田も自供していた。
なお、本件は福井県内の共犯者宅から爆弾が発見されたことから福井地裁が担当することになったものであり、
殺人2件を含む多くの事件は福井県とは無関係であるばかりでなく、島田自身も福井県と縁が深いわけではない。
石川義純 00.12.7 01.8.2 無期懲役
03.10.30 控訴棄却
04.7.29 上告棄却
日系ブラジル人男女殺人事件。
物的証拠に乏しく、冤罪の可能性が指摘されている。

本件は県内で戦後初めて複数の成人が殺害された事件と報じられた。
(上記島田は県外の殺人なのでノーカウント。未成年者を含めれば、1998年9月1日に鯖江市で家族4人殺害事件が発生している。)
本判決後には2014年11月28日発生の敦賀市の母・姉殺害、2019年11月17日発生の敦賀市の義父母・夫殺害が起きている。
これらはいずれも家族間で起きた事件であり、複数の第三者を殺害した事件に限定すると本件のみである。
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